金網稲荷神社と日本通運と和泉公園、アップデートを続ける秋葉原

こんにちはモモです。神田地区で開業してからずいぶん時が流れ、周りの景色もだいぶ変わりました。

この秋、モモと同じ神田和泉町二丁目に、日本通運の大きなビルが完成しました。

年明けには、港区にある日通本社やグループ会社など10社がお引越ししてくるとのこと。保育園の帰りにお参りした公園隣の金綱稲荷神社も、とってもきれいになりました。

今まで知らずにお参りしてきましたが、調べてみたところとても由緒ある神社でした。日本通運の創始者にあたる飛脚問屋、京屋弥兵衛さんが江戸時代に始めた飛脚事業(のちの日本通運)の安全を願い建立した神社です。

弥兵衛さんの夢枕に御神霊が現れ、黄金の網を授かったことから「金網稲荷神社」と名付けられました。その後は道中の人災もなくなり、厄除け、交通安全の加護を受け、商売が発展し今に至るとのこと。神社も会社も由緒正しい歴史があるのだと、いまさらながら感心いたしました。

その隣にある和泉公園も、ずいぶん様変わり。

和泉公園は、以前は大きな木が何本もありました。木登りができる木があったり、起伏のある小山を走り回ったりできる、野性味のある公園でした。和泉公園のヤブ蚊は、大きくて勢いがあり、刺されるといつまでも痒く大変な思いをしました。

三井記念病院の建て替えや和泉小の校庭拡張などを通じて、何度も公園の形は変わりました。今は、周囲に樹木と遊具を配し、中央に芝生が広がるゆったりとした広場になっています。

20年前の秋葉原のイメージと言えば電気街。

年に1〜2回、電化製品を買うために来る場所でした。古い町並みが残っていて、電機関係の部品を売る間口の狭い小さなお店が沢山ありました。駅前にはアキハバラデパートと言う、どこがデパートなのかわからない謎の建物もありましたね。

当時、京浜東北線で通勤していた頃、帰りの電車の窓から、やっちゃばの跡地を見下ろすと、塀で囲われていた跡地が整備され、若者たちがスケートボードを颯爽と乗りこなしている姿が見えました。その後再開発が進み、やっちゃば跡地は消防署やUDXビル、高層マンションに変わりました。交通博物館も大宮に移転してしまいました。

つくばエクスプレスが開通し、「電車男」という小説がドラマになり、オタクと呼ばれる人たちがメジャーな存在に。アニメのお店やAKB劇場ができたり、、、。いつのまにか地味な電気街だった秋葉原が、日本のカルチャーを代表する世界のアキバになりました。

めまぐるしく変わっていく秋葉原。ホリスティック鍼療院モモも、常に新しい技術をアップデートし、患者様のお役に立てるよう精進いたします。